通し練!

今日は通し練習だった。

朝からちょっと喉に違和感があってフルパワーは出せないっぽいのだが、とりあえず今日は一回シルヴィアスを外して、自分がちゃんと相手に感情を伝えられるかどうか、それが俯瞰で見て形になっているかどうかに重きを置いた芝居をすることにした。

その結果粗通しのときと同じくらい理性が邪魔しない演技ができていたし、周りには面白かったと言って貰えた。

笑わせにいかずに面白いと思ってもらえるのは個人的に結構いい出来だったんじゃないだろうか。

ただ演出の人には、もう少しシルヴィアスの偏差値を下げて欲しいと言われてしまったので、そこは治していかなければならない。

多分そこにいたのはシルヴィアスではなく僕だったのかもしれない。。。

もう少し馬鹿になるためにはやっぱり原点回帰の小原乃梨子キャラ研究をするしかないか。

『リア王の悲劇』を観た

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横浜に初上陸。一応写真は撮ったけど中華街を一人でブラブラするわけではなく、そのすぐそばにあるKAAT神奈川芸術劇場に『リア王の悲劇』を観に行く。木場さんの演技は『ガマ王子とザリガニ魔人』で観て、すごくペーソスの表現が上手い人だなあと思ってたから、満を持してのリア王って感じですごく楽しみだった。実際ものすごく哀れで、でも予想外だったのはリア王が追放された狂い方がチャーミングだった点。嵐が止んだあとの狂い方はなんだか愉快に見えた。その愉快さがもしかしたらグロスター伯の闇を一瞬照らしていたかもしれなくて、僕が今回救われた部分がそこだった。滑稽で笑える場面も結構あって、でもゴネリルとリーガンの艶っぽい存在感で必ず引き締まる。目潰しシーンは血糊が痛々しかったけど、そこで血が流れる意味があとでちゃんと活きてきてなんか泣きそうになり...。現代を生きる僕の心にもちゃんと寄り添っているシェイクスピア劇だった。

オクトーバーッ!

今日から10月らしい。昨日の稽古場の停滞ムードはやばかった。みんな真剣を通り越して深刻になってしまっていて、これでは喜劇なんて到底できそうにない。そんな中で今日は4年の先輩がほとんどいないらしい。なんて状況だ。僕は5限のジブリの講義のあと急いで稽古場に行ったら、演出のおおともさんもいなかった。シーン練ではなく、グループに分かれてなんか話し合っている。4年に代わって、3年のかがみくんが中心になって演者の悩みをグループで共有する時間を作っていたのだ。そのあとは全員で意見を出し合いながらシーンを改善をする時間。5-4のミザンス決めにほとんどの時間を費やしてしまった昨日よりもみんな明らかに全員やる気になっていて、結果として長引きそうな課題も改善されてなんと一発OKの連続だった。全員で喜び全員で改善案を共有する。雰囲気が良くなると演者の芝居にも集中力と磨きがかかる。停滞の原因は4女が自分らがアイデアを枯らした状態なのに圧だけかけるから後輩たちが萎縮してしまっていたからなのかもしれない。実際喜劇にしては丁寧に作りすぎなのである。そもそもこういう時期に演出がいないのはやばい。正解が分からなくなってしまうもの。だけど、そんな中で演者同士のコミュニケーションを深める時間をとって、深刻な空気を真剣に戻したかがみくんのファインプレー。彼は4女に自分が嫌われているかもしれないと怯えていたし、たしかにどこかズレてるやつだ。ズレている自分にうんざりするとも言っていた。そんな彼の彼らしく良い部分が完全に出た時間だったような気がする。この雰囲気が続くといいな。

Cloud

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『こりゃ一体何を見せられているんだ...?w』だけが湧き続けるヘンな映画。一応あらすじでは"サスペンス・スリラー"となってるけれど、なんつーか、サスペンスもスリルも僕は期待していたほど感じませんでしたよ...?だってあの邦画サスペンス・スリラー最高傑作『CURE』の黒沢監督だぜ!?そんな黒沢監督が、菅田将暉窪田正孝・古川琴音・荒川良々とかいう演技力アベンジャーズを起用して撮るっていうんだぜ!?贅沢な映画だとワクワクしてたらなんか訳の分からんシュールなものを喰らった感じ(笑)

...なのだけれど、正直そのシュールさがツボにはまってからはもう楽しくてしょうがなかった。菅田将暉が演じる主人公は転売屋を生業としている男。冒頭からひたすら転売屋のルーティンを見せ続けられて、『あー、こいつの人生しょーもなw』ってなる。これは持論だけど、主人公がどんな人間であれ、その人の"生活"の描写をじっくり描いてる映画は面白い。菅田将暉の取るに足らないカスの立ち振る舞いが素晴らしくて、別に笑える場面ではない生活の切り取りでなんか笑っちゃう。邦画でハイテンションのろくでなしは山ほど見てきたけどコーエン映画的な落ち着き払ったろくでなしはあまり見られないので良かった。『CURE』で萩原聖人に追い詰められた役所広司のブチギレ(生肉ぶん投げ)なんかもそうだけど、黒沢清の映画は"なんか笑っちゃうシーン"が毎回あって楽しい。

このあたりでもうひょっとしたらな映画かもと思って見てたら、突然頭の弱そうな古川琴音が菅田将暉の家に居て面白い映画確定。帰宅したらなんか居るのに、玄関の靴が視界に入らない枯渇した関係性。大量の段ボール箱に埋め尽くされた家に居候する激ヤバ女。なんか付き合ってるらしいけど全然愛し合う気配がない、一番しょーもないやつ。てかこの映画に出てくる人間全員いい具合にぶっ壊れてる。個人的には窪田正孝が演じる転売屋の先輩が最高だったな。胡散臭い人間を演じられる人はほんと好感持てる。

主人公は荒川良々の町工場を辞めて、飼い慣らしてる女と湖のほとりの家賃7万の屋敷に引っ越す。そこで地元の若者を雇うんだけど、そいつはそいつで素性が掴めなくてなんか面白い。これに関しては黒沢清のキャスティングが良い。奥平大兼という俳優は初見だけど何考えてるのか良く分からない表情がバッチリハマってた。それで言ったら菅田将暉が転売のために屋敷をほったらかしにして東京に戻ったので、広い屋敷に奥平大兼と古川琴音が2人きりになったところで、彼女のわっかりやすい色仕掛けをへし折る場面が良かった。黒沢ナイズされた荒川良々岡山天音も良かった。終盤になると菅田将暉と関わった顔ぶれが怒涛の如く絡んでガンアクションが始まるのがあまりに虚構すぎてやりたい放題感に失笑してしまった。まあそのくだらなさが肝なんだろうな。節々でわざと緊迫感を出さないようにしてるのがよく分かる。あ、でもたまーに画面外からヌルッと入ってくる恐怖とか黒沢節もしっかり楽しめました。

何より菅田将暉が凄すぎた。ワンハリの円熟ディカプリオに心を動かされたあの日から日本に円熟ディカプリオになれる俳優さんいるかなぁ、なれるとしたらただ一人菅田将暉だなぁと思ってたけど、その展望は正解だったかもしれない。この映画を観れば菅田将暉がディカプリオと同じものを持ってるのが分かる。と思ったら黒沢清監督もインタビュー記事で似たようなことを言っていてちょっと得意気になってしまった(笑)

菅田きゅん♡溺れるナイフ♡の層がポスターに釣られて観たらポカーンってなる映画だと思う。カップルで観る映画でもない。実際僕の座席を蹴りまくる勢いで上映前菅田きゅんを楽しみにしてた後ろのカップルがエンドロール後お通夜だった。もし映画に言葉を失うほど感動してたのだとしたらそれは崇高なカップルだ。これからも前の座席を好きなだけ蹴ればいい。一方で黒沢清ファンのおひとり様は、菅田将暉に邦画の未来を感じつつ、こんなろくでもない邦画(最大級の褒め言葉)が観れた幸せを噛み締めて映画館を去っていくのであった...。『Chime』も観ねば。

リリー・マルレーン

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ちょうど去年の9月頃下高井戸シネマで観てド衝撃を受けた『ペトラ・フォン・カントの涙』『マリア・ブラウンの結婚』の2本以来のライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督作品。

この監督のセンスはもうほんとにヤっバいので(語彙)観る前から期待値爆アゲで行ったんだけど案の定超えてきたね。恐るべし。なにもかも凄いんだけど、どのセンスから褒めていこうか。

まず題材のセンス。「リリー・マルレーン」という楽曲は、第二次世界大戦下になんかめっちゃ流行して、ある夜、ベオグラードの死地にてラジオでこれが流れるのを聞いた無数のドイツ兵が故郷を思って泣いたという逸話がある。そんな伝説の曲を歌った女性歌手の半生を捉えた作品は、多額の予算をつぎ込んだ商業映画として他のファスビンダー作品に比べるとすごく分かりやすいストーリーではあるんだけど、そこがむしろ肝というか。社会風刺と内省にまみれたファスビンダーインパクトを放つにはあまりにもうってつけすぎる題材だったような気がする。だってナチ党党大会でヴィリーが「リリー・マルレーン」を歌うシーンで、爆撃でぶっ飛ばされるドイツ兵の描写をはさみまくるんだぜ!?エヴァ旧劇アニメーションみたいなことを70年代の実写でやるなよな...(笑)ファスビンダーはヴィリーの歌声をナチズムの強制的同一化の象徴として、その咲き誇る栄華が一般民衆の内面を向上させているようで、実際はそこに人権的価値などない、あるのはプロパガンダに洗脳された人々のロボット同然の従属だけである、ということを指摘したんじゃないかな。エグい。ハンナ・シグラの決して上手くはない味のある歌声と衣装・ステージの美しさに本当にうっとりしちゃいそうになる危うさが楽しい。


そんな虚飾の美を盛りに盛りまくる劇伴と撮影のセンス。前も思ったけどファスビンダーは歌の使い方が抜群に巧い。これでもかと繰り返される仰々しい音楽にシーン次第で心地良くなったりオエッてなったりする。ヴィリーに恋したユダヤ人のロベルトが「リリー・マルレーン」の1フレーズが永遠に繰り返される独房に閉じ込められることになるんだけど、そこの場面が4,5回以上挿入されるのがヤバい。観てるこっちまで分かったから!もうやめてくれ...!状態。このシーンで音楽の力を思い知ったらもうファスビンダーの掌中にいるのだろう。そして大袈裟なほどに虚飾の美を演出するクロスフィルターも印象的。大事なのはこのキラキラは歌っている人間が放つ輝きでは決してないということ。

僕がファスビンダーやべえなと思うのはショットと編集。結局これに尽きる。今回は商業映画ということで控えめだったけどやっぱりファスビンダーを観ているなっていう感覚に包まれるショットのリズムがある。死ぬときは呆気なく死ぬ。これはそのままの意味での死だけじゃなくて、主人公が我々に浴びせ続けてきたアイデンティティがプツンと途絶えるという意味での"主人公の死"も呆気ない。なのでとにかくオチがキマる。これはファスビンダー映画の共通点。主人公が虚飾の美に取り憑かれて栄華の階段をのぼっていくのは『マリア・ブラウンの結婚』も同様で、あちらの"すべてが無に帰した"という意味での爆破オチの余韻も凄かったけど、こっちはこっちで良い。ヴィリーはほんとにただ歌に生きたかっただけ。あの時代に翻弄されただけ。戦争がなにを奪ったのか。そのかわりになにかをもたらしたのか。ヒールを鳴らしながらヒロインが去っていく音にその答えがあるんじゃないかなと思う。果たして『マリア・ブラウンの結婚』のときと同様、"すべてが無に帰した"という答えがこの映画の正解だろうか。答えはもっと戦後ドイツ史を学べば見えてくるんじゃないかな。ラストシーンに「ああ、人生だな」と思えたらもう究極の映画です。この映画がそう。

侍タイムスリッパー

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いや〜良かった!良すぎ!

全体的にギャグの演出がクサイのと、泣きが多すぎるのがアレだけどまあ自主映画のご愛嬌ってことで許そう。そんでぶっちゃけ脚本も微妙で、鑑賞前にワクワクしてたタイムスリップ・コメディの期待値は全然上回ってこなかったので、途中からこれは映画ではなく、コント動画だと思えばまあ元は取れるかなという感じで観てた。主人公が時空のギャップに困惑するシーンはもちろんあるんだけど、車やカメラ差し置いてケーキかい!そのケーキが伏線アイテムかと思ったがそうでもなかったので拍子抜け...。笑 など脚本はいろいろ惜しい。

じゃあどこがひたすら良いのかということなんだけど、ある瞬間にこの映画のテーマは実はタイムスリップ・コメディではなく、時代劇という今の日本が失いつつあるお家芸への愛を描いたものだということが明示されてから、まっっっじで良い。
作品がやりたいことを理解してからはこの低予算映画の中で時代劇への愛を捧げる監督とそれを受け入れて全力でサポートする東映京都撮影所への感激も相まって、登場人物の生き様を応援したくなる最高の映画体験になった。

そしてなにより、「この作品を応援した君へのご褒美だ」と言わんばかりの最後の斬り合いに大感動。低予算映画だからと断定して途中から舐めていた自分が馬鹿らしくなった。むしろ今までのクサイ演出やB級感はすべてこのシーンに向けたフリだったのかと思ってしまうような最高のカット割。ジャッキー版『ベスト・キッド』の例のシーンでカンフーが帰ってきたあの瞬間のカタルシスに似たような感覚を、時代劇で味わえることは本当に幸せだった。

七人の侍』『座頭市物語』『切腹』など、半世紀以上前の日本の時代劇はガチに凄かった。そんなかつての日本人の冷たい情熱が帰ってくる瞬間、劇場の誰もが息を呑んでいるのが伝わった。なにより最近の邦画ではなかなか経験できない緊迫感を味わうことが出来て幸せ。

高坂新左衛門を演じた山口馬木也さんの凛とした瞳とまっすぐな演技が本当に良かった。冨家ノリマサさんも良かったね。この映画がなければ出会えなかったかもしれないと思うと...。あの斬り合いのシーンの二人の表情が本当に素晴らしい。

死ぬまでにいつか撮ってみたいな。時代劇。

110円のいろはす

昨日のブログを書くためだけに電車に乗っている

 

人によるけど僕は電車に乗っている時間が好き

たしかに"そこにいる"他人と干渉せずに、他人の

存在に緊張しながら自分と向き合いたい自分にと

っては結構楽しい時間なのだ

ただずっと電車に乗ってるのは流石に飽きる

 

ふらふら適当にスカイツリー周辺を散歩しようと

思って住吉で降りて改札を抜けた

その直後、前を歩いていた甚平のおじさんがバラ

ンスを崩してすっ転んだまま起き上がらなくなっ

てしまった

一瞬注目を集めたが誰も声をかけない様子

近くにいる駅員は全然気づく気配がない

酔っ払いなのかな、よく分からない

よく分からないから声をかけない

そんな無難な生き方をこの間心に決めたはずだっ

たのだが自分には無理なのかもしれない

見た目はガンジーそっくり

塩の行進に疲れたのだろうか

駅員を呼んだら三回目くらいでようやく反応して

すぐに駆けつけてくれた

あとは頼んだぞ

と思ったけどなんかまだモヤモヤするので

近くの自販機でちっちゃい方のいろはすを買って

要らなそうなら自分の水分にしようと思いおじさ

んのもとへ戻った

戻った頃にはなんと改札の向こう側をふらふらし

ていた

駅員に対して大丈夫と言ったのか、駅員が大丈夫

ですねと言ったのかは分からないけど、依然とし

てフラフラしている

さっき出たばかりの改札を逆走して、ホームドア

に右手を乗せて身体を支えている(危険すぎる)お

じさんに水を渡すと、おじさんは声にならない

「へぅへぅへぅ...」みたいな反応で受け取ったか

ら、とりあえずこれ以上僕のできることはないと

思い、立ち去る

こんな正義感どうにもならないのは分かってるん

だけど、もう自分に正直に生きている結果がこれ

からしょうがないのだ

心配だから遠くからおじさんを見ていると、僕が

渡したいろはすを凄いペースで飲んでいた

おじさんがどうしてふらふらしちゃうのか僕には

分からないけど、相変わらずホームドアの上の部

分に右手を乗せて水をごくごく飲んでいるのを見

てちょっと悲しい気持ちになった

こういうことが善行だと思って得意気になってい

た時期もあったけど、別にそれが何をもたらす訳

でもない、自分にとって余計な行動だということ

は分かるくらいには擦れてきた

でもやってしまう僕は好青年、いや天才好青年だ

はやく誰か褒めてくれよ

まあでも、ふらふらになって都会の駅ですっ転ん

だ後に青年に渡される水は美味いだろうな

もしかしたら元気になったら「ったく今の若者

は!」と路上に痰を吐く人間かもわからんし、元

気にならずそのまま野垂れ死にするかもわからん

都会では先のことはなにもわからないのだ

ただ「ったく今の若者は!...ただあのときの青年

は...」と思ってくれるかもしれないし、死ぬ寸前

に僕の優しさをふと思い出してちょっとでもお腹

のあたりが温かくなってくれるかもしれない

なにより、おじさんに渡した水の110円分、また

自分の人生頑張ってみようと思う

 

あと、ふつうにこのエピソード、「せっかく助

けたおじさんがそのままバランスを崩して線路に

転落した」みたいな感じで黒沢清の映画みたいな

インパクトを現代の映画業界に復活させるものと

して使えるかもしれないな