2023-09-27

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『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』観てきた。

男性の支配に嫌気がさして、同性への幻想の愛に

自由を求める女性がいる。

そんな女性の台詞は非常に近視眼的で、客観妥当

性に乏しいし、常に考え方がコロコロ変わるから

僕にはあんまり理解できない。

だけど、どんな男性の台詞よりも激しくて強い。

今回がファスビンダー初挑戦。

彼は映画の人であると同時に演劇の人でもある。

作中ずっと女性しかいない家の中で、会話劇が繰

り広げられるから、寝てしまいそうになりながら

も頑張って哲学の匂いも感じる台詞を咀嚼した。

彼の世界の全貌を掴めた訳じゃないけど、

この作品を通してどこか人間の本質を垣間見れた

ような気がした。

先述の身勝手な主人公の裏に、彼女に奴隷同然の

扱いを受けるマレーネという可哀想な召使いがい

る。

会話は返事以外ほとんど無い。

ウイスキー持ってきて!』という主人公の命令

に無言で応えてサッと持ってくる彼女を見てると

どこか同情に近い感覚を覚える。

彼女は主人が同性との恋愛に溺れている最中は、

ファッションデザイナーの主人に言われるがまま

にスケッチを描いたり、タイプライターを打った

りしている。

そんな彼女の感情表現はほとんどないんだけど、

タイプライターの音の強弱の中には主人同様苛烈

な感情が間違いなく存在してて、どうやらその正

体は主人の抑圧への抵抗心ではないらしい。

僕がいくら"可哀想"と思おうがそれは客観であっ

て、客観でしかない。

もしかしたらマレーナにとって、恋愛でうまくい

かないヒステリーを自分にぶつけてくるような身

勝手な主人が、自身のアイデンティティを保証し

てくれる張本人だったのかもしれない。

その証拠に、作中終盤、主人が理想の愛を叶えら

れないことに錯乱してヒステリーを起こすのだ

が、一通り終わったあとに我に返って、ようやく

ひどい扱いをしていた召使いへのお詫びと愛情を

口にするんだけど、その瞬間マレーナは全てを諦

めたように家出の支度を始めてしまう。

そのシーンで急に、今までずっと"支配者"として

シンデレラの継母のような嫌悪を感じさせてきた

主人公が哀れに思えてくるのが凄い。

それまでずっと虚飾の美しさを何度も相を変えな

がら見せてきた主人公ペトラが、マレーネに向き

合う最後だけ、化粧っ気ない素顔で語る。

それにマレーネが応えて、円満に終わるのがのが

基本的なメロドラマの構造なんだけど、この作品

の哀れな召使いは業の精算ともとれる一言に一切

目も合わせずに、画面の中央で項垂れるペトラの

前を何度も横切りながらキャリーケースに荷造り

を始める。

ファスビンダーの故郷のドイツにかつて存在し

た、あらゆる虚飾に満ちた美々しい権威の滑稽さ

をアイロニックに表現するだけでなく、その虚飾

が去ったあとの"空虚さ"みたいな感覚も彼は決し

て忘れていなかった。

カリスマ的な指導者を失ったドイツ人が一歩も動

けなくなってしまったような、そんな感覚。

久しぶりにシアターで映画らしい映画を観ること

ができて悦に入っている。