2023-06-24

大学一年の頃はサークルでの人間関係に悩んだ。

今思えばそもそもサークル自体に「楽しみたい」

という自分のわがままが介入していて、結局そこ

で相手とうまく波長が合わなかったのは僕の若さ

だった。

東京のリズムの中で、自分らしさをなにも確立で

きずに迷い迷っている期間に人間関係を築くのは

不器用な僕にとって至難の業だった。

原因は余裕がなく視野の狭い自分自身にあった。

学年の終盤に文学賞を貰って以来、自分のリズム

や価値観を確立させようと文学や芸術との向き合

い方を変えることで、余裕が出来た。

相手の善し悪しも見えてきて、高校のときよりも

人と話すのが楽しくなった。

生きる理由が「楽しみたい」から「楽しませた

い」に変化してからは僕は人との会話に自信が持

てるようになった。

だから今の人間関係のこじれの原因が僕にあると

は思えない。

かつては足りない自分に悩んでたけど、今は逆に

足りすぎてしまった自分に悩んでる。

永遠に悩み続けるのが人間の課題なんだと思う。

人は一見繋がっているように見えて、実はそれぞ

れが全く違う世界を見ている。そのどうしようも

ない断絶を埋めるために言葉は進化してきた。

言葉は相手の岸に橋を架けようとするけど、それ

でもまだ長さが足りない。それは相手も同じだ。

橋が繋がる瞬間があったとしたらそれは愛だ。

足りないなかでも、相手との最短距離で、ありっ

たけの想いを伝えようとすることこそがコミュニ

ケーションだと僕は思う。

今の10代20代はそもそも橋を架けること自体を諦

めてしまっているような気がする。

橋を架けずに対岸の相手に向かって話しても、そ

の声は届かないのではないだろうか。

もし仮にコロナ禍という不条理がそうせざるを得

なくしたとしたら、橋の向こうの相手にどうやっ

て気持ちを伝えられるだろうか。

言葉は封じられたんだから、あと残された手段は

表情ではないかと僕は思う。

表情は不思議と、相手が遠くにいても伝わる。

そういうものを描きたい。

 

そういう意味では、今回のグループワークでは、

僕以外誰もコミュニケーションしていない。

授業の中でそういう課題は出ていないのに、私が

やったから君もやるよね、という"流れ"で1人1カ

ット自分を撮ることになってしまった。

誰の意思でもなく生まれてしまったその"流れ"で

僕は家が近いのなら体温を測るカットを撮ってこ

いとカメラを持ち帰らされたのだけれど、体温計

が自宅にないとかそういう次元じゃなくやりたく

ない。

そもそも僕たちの班は青春というコミュニケーシ

ョンを描く分、浅草寺とかお好み焼きを映すだけ

でいい他の班よりもよっぽど難しいことをしてい

るのだ。そういう課題に取り組む過程で、そもそ

も製作者がコミュニケーションを諦めてしまった

結果としての今の流れに違和感がある。

お互いに相手への思いやりとか、優しさがあれ

ば、もっと意思は届くと思う。

僕は十分に届けてるはずだし、なんの落ち度もな

くやってるはず。

ただ僕自身の気づかない場所でまだコミュニケー

ションが足りてないのかもしれない。

なにかヒントがあるのではと思って「silent」の1

話を見たら、予想以上に良かった。

聴覚障害を題材にしたドラマは通常男子と女子の

1対1だけど、このドラマは男女の三角関係の中で

のハンディキャップを描くのが面白い。

聾者は聴者とのコミュニケーションを諦める。

本当は関わりたいけど、目線の合わないすれ違い

が怖くて、諦めてしまう。

聴者は聾者に寄り添おうとするけど、上からの優

しさじゃなくて、同じ目線に立つことができる人

でなければ、寄り添ったことにはならないという

ことを僕は去年行った手話会で学んだ。

聾者とのコミュニケーションは、聴者とのそれよ

りもより深いものでなければならない。

そこにおいて湊斗という人間の描き方が「silent」

の最大の魅力だと思う。

同じ目線に立つということはすなわち愛であり、

青羽と想にはかつてその愛があった。

青羽が想と再会するまでは、青羽と湊斗は愛し合

えたのに、再び会った想は耳が聞こえなくなって

いた。かつての愛にピリオドを打てていない青羽

は、想のために目線を下げて、もう一度目線を合

わせる。想と青羽が会ってしまったら、湊斗はど

うしたって優位なんだから、もうどうすることも

できない。そこで優しさと愛と嫉妬とがぐちゃぐ

ちゃになる。

この関係に夏目漱石の「こころ」を思い出した。

思えばあれも三角関係の中で愛という最も深いコ

ミュニケーションを取り扱っていた。

そういうものをもう一度読んでみてもいいのかも

しれないな。

 

目黒蓮は同性から見て顔もめちゃくちゃカッコイ

イとは思わないし無知すぎて勝手に演技が下手な

方だと思っていたけど素晴らしいな。

言葉じゃなくて顔と仕草でナチュラルな演技がで

きる人。この作品に抜擢された理由も頷ける。

タイプで言うと錦戸亮に近いのかな。

正面から見た顔は全然違うけど1リットルの涙

ときの錦戸亮にそっくりに見える瞬間がある。

あちらもいい演技だった。

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錦戸亮目黒蓮みたいに、悲しい顔が嘘をついて

ない役者は本当にいい役者だと思ってる。

人間の感情は悲しみから出発するからね。

だからロバート・デ・ニーロはすごい。

https://youtu.be/XtL5tGpGIN8

 

目黒蓮は今後のドラマ界の主役になりそうな予

感。