千代田の図書館でお勉強。
「滑稽の研究」という田河水泡の本を読み、今ま
で漠然とその輪郭を捉えていた"滑稽"について、
その先の"ユーモア"について深く学んだ。
薄々気づいていたけれど、おかしみの笑いには、
笑う方と笑われる方とが存在するので、
そこにどうしても上下関係が生じてしまう。
ただ、それが相手への罰だと説いたのがベルクソ
ンであって、映画の世界においては、映画で描か
れるフィクションの人生を第3の視点から見下す
際に笑いは一種の労いとなり、投影している自分
をも救うことができると僕はその力を信じきって
いる。
少なくともこの漠然とした感覚について、以前よ
りも言語化できるようになっただけマシだ。