2023-07-06

動画制作の授業も大詰め。

映像初心者で構成された撮影班は、誰も全力で取

り組もうとはしておらず、とりあえず毒を喰らわ

ないように頑張っているみたいだ。

大学生ってそういうもんなんだろうなと思うけど

"コロナに負けない青春"がテーマなのに、誰もカ

メラ前ではっちゃけない。コールド負けだ。

このままでは青春のエネルギーが微塵も感じられ

ない動画になってしまいそうな気がする。

学校の中でゲームしてる様子を撮るって誰かが言

ったのに、僕が「久々のマリカ8dx!」と白熱し

ていたら"結構喋るよね"と言われてしまったし、

ババ抜きをしてる様子を撮るって誰かが言ったの

に、全然盛り上がらない。致命的につまらない。

予想はしていたけれど、僕が最初に頭の中で練っ

ていた作品とはかけ離れたものになった。

とりあえず彼らは単位が貰えればいいんだろう。

恐らく本気で映像制作と向き合おうとする僕は相

煙たがられている。

その証拠として全然僕の意見が通らないorz

夕方から花火のシーンを撮影するために、"3限終

わり"に再び集まることになってしまった。

さすがに早すぎるだろ!!

ぜんそくの僕からしたら花火の方が煙たいし、ど

うせいつものように行き当たりばったりで撮るか

ら長引いたり撮れなかったりするのだろう。

花火を上手に撮るのが難しいことくらいみんな分

かってるんだろうけど、でもグループ全体で迎合

した末に決まってしまった案というのはなかなか

取り消すことができないのだ。

 

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空きコマに「風の谷のナウシカ」を見た。

明日金曜ロードショーでやるらしいけどバイトで

見れない。僕は人前であれだけぬけぬけとジブリ

を語っておきながらナウシカをこれまで一度も見

た事がない。

そもそもナウシカジブリ作品じゃないし、僕が

映画に求める"滑稽さ"のない宮崎駿作品というイ

メージがあったので19年間スルーしてきた。

 

僕は初見では登場人物の相関図が全く見えてこな

いしキャラクターの名前すら覚えられずにただぼ

んやり見る。

見ていてやっぱり内容が重いし、滑稽さがない。

途中までナウシカがペジテの姫だと思っていた

には、僕は初見における理解度は平均よりもず

っと低い。

格闘シーンが熱いのと、ナウシカが可愛いなあと

いうそれだけで、とくに面白さを感じられないま

ま残念ながらペジテとトルメキアが戦争を始める

シーンのあたりで3限が終わってしまい、中途半

端のところで中断してしまった。

何故ペジテとトルメキアが戦争に至ったかも夕方

の撮影のために活発に動いているグループLINEの

通知に気を取られて台詞を聴き逃してしまった為

全く分からない。

出来ることなら僕はナウシカの感動をフルで味わ

いたかったので、すごくモヤモヤしながら返却を

した。

ただ、返却した直後に通知がきて、見てみるとど

うやら撮影班の女の子が4限に授業があるらし

く、その子を全員で待つことになったそうで、

んと4限もナウシカに費やせることになった!

僕がメディアライブラリを出た5分後にウキウキ

でメディアライブラリに舞い戻ってきて、またナ

ウシカを借りたので、きっと受付の人はびっくり

しただろう。

 

僕はナウシカをもう一度はじめから見直した。

すると、面白いことに、今度は登場人物や設定が

頭にすらすら入ってくる。それどころか、宮崎駿

がこの作品で本当に伝えたかったことまで、文字

通り頭の中に降ってくるのだ。

大学1年生で映画を本気で見るようになってか

ら、偶にこういう瞬間がある。最近は特に多い。

この瞬間だけ自分が天才だなと思えるくらいには

すごい能力だと思う。

撮影班の女の子はきっと自分が他人を待たせてし

まっているということで早いとこ授業が終わって

欲しいと思っているんだろうけど、出来ることな

ら4限終了時刻の17:00まで彼女の授業が終わらな

いで欲しいなあ!!

さっきよりも100倍面白くなったナウシカをまた

しても途中で切り上げるのは嫌だ!絶対に!

どうかこの感動をエンドロールまで繋げたい!

 

結局最後まで見れたかどうかは伏せて、僕が"2回

目"のナウシカで"途中まで見て"感じたことのあ

のままを書こうと思う。(?)

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この物語のテーマは、

人間主義とはなにか」である。

人間の好き勝手な自然破壊がもたらしたディスト

ピアにて、生物も無生物も愛する一人の少女が平

和のために戦うというお話なのだが、さまざまな

人間の思想が飛び交う作品なので日本一わかりや

すい人生の教科書「となりのトトロ」とは大違い

である。

だけど、その多種多様なイデオロギーが飛び交う

部分こそ、"戦争"を描くこの作品の魅力だ。

ここで注目したいのが、この作品においてふたつ

の"ヒューマニズム"が描かれているという事だ。

ナウシカの世界の創造主は宮崎駿である。

この超大作を、「人間を罰するつもりで描いた」

という宮崎駿ヒューマニズムを否定したのか?

いや、僕はそうは思わない。

むしろ、宮崎駿ヒューマニズムを再解釈して、

この作品のいたるところに散りばめたのがこの、

風の谷のナウシカ」である。

宮崎駿によるヒューマニズムの"定義"こそ、彼が

描く世界の"真理"なんじゃないかと僕は思ってい

る。そこを語っていこうと思う。

 

まずは主人公であり、宮崎駿の描く世界における

正解の人間であるナウシカの"ヒューマニズム"。

こちらは日本語に訳すと"人間主義"だ。

ん?ナウシカの"人間主義"?

彼女はとにかく人間以外の生物や無生物を愛して

いるので、愛の矛先が人間じゃなくて自然に向い

てしまっている少女だと思う人もいるはず。

しかもナウシカは作中で躊躇いなく人を殺してい

る。

あんな見た目して父親を殺したトルメキアの軍人

たちを一瞬で屍にしてしまう恐ろしい少女だ。

彼女は人間性を尊重してないんじゃないか?

少なくとも誰にでも分け隔てなく愛を与える"博愛

主義"的な人間では無い。

だが、僕はナウシカはこの作品で最も"人間"の正

解に迫っている人間なんじゃないかなと思う。

 殺戮シーンも、親を殺した人間にすら優しい人間

よりも、親を殺されたらそれはもう人間じゃない

のでこちらも殺させていただくという"目には目を

歯には歯を"的な考え方が人として正解なんじゃな

いだろうか。

だってそこで相手を赦したら、相手の悪意を肯定

し、自分の憎しみを否定することになってしま

う。

"悪意"は人間が自分の弱さを自覚せずに他人を傷

つけるために防衛本能で発動するものである。

"悪意"とはつまり、"人間性の否定"である。

ナウシカが最も嫌うのはそういった"悪意"とか"自

己中心的な思想"であり、逆に彼女は敵国にも存在

する"善意"を全力で受け止める。

彼女は「人間性の否定」を否定するために戦って

いるのだ。

そして彼女は、腐海の飛行中にマスクをとってオ

ジたちを励ませるくらいには"自己犠牲的な思

想"を持っている。

表情のパワーを宮崎駿はマスク社会が本当にやっ

てくる40年以上前から信じていたのだ。

実際にオジたちも、僕達も、このシーンで心の奥

が温かくなる。そしてそのあとの「少し肺に入っ

」という台詞と苦悶の表情に、胸が痛くなる。

宮崎駿ナウシカの悪意の否定と自己犠牲の精神

を描くことで"正しい人間の在り方"を伝えてい

る。

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そして彼女の人間主義が正解である理由は、この

作品に登場するもうひとつの"人間主義"を知るこ

とが大切である。

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ペジテとトルメキアの"ヒューマニズム"。

戦争を繰り広げるこの両国、実はどちらも大元は

同じ"人間中心主義"である。

"人間中心主義"は、"人間主義"とは少し違う。

たしかに、"人間中心主義"にも、自然なんぞに自

分たちの住処を奪われてたまるか!という人間性

の尊重がしっかり入っている。

ペジテ市の地下に眠っていた巨神兵を"兵器"にす

るために手に入れたいトルメキアと、それを防ぐ

ペジテという構図。

どちらもそこに自国を守るという崇高な言い訳が

あるのだが、どちらもなにかの犠牲に上に成り立

つ理想である。

この世界の創造主に言わせれば、それじゃあ平和

は訪れない。

王蟲を真っ赤な目にさせてまで宮崎駿はなにかに

対して怒っている。

ここからは僕なりの解釈を入れていく。

自然に"生"を感じられない人間は、他者の"生"も

あまり感じられないんじゃないかと僕は思う。

これは現実でもそう。

"自分がいちばん正しい"という思考に至るとき

に、"但し自然の前では総じてみんな平等"という

考え方が根本になければ、他者を見下すことにな

ってしまう。

ペジテ市長であるアスベルの父は巨神兵を奪還す

るために風の谷諸共腐海を焼き払おうとする。

いくら被害国でも、ペジテ側に「人間様こそがト

ップだ」という思考がある時点で人間を産んでく

れた自然への敬意がない。

自然を大切にしないことで争いが起こり、その争

いでまた自然が破壊されるという悪循環がそこに

あるわけで、宮崎駿からして見ればその連鎖を防

ぐ思考が足りてない人間を描くことによって、い

つかそうなってしまうかもしれない現実社会に対

する警鐘を鳴らしていたのだ。

ナウシカが「ペジテもトルメキアも一緒」と言っ

た理由も、これなら理解出来る。

"人間中心主義"という考え方は、たしかに人間ら

しいとは思うが、自然の犠牲の上に成り立ってお

り、結果として風の谷のナウシカの世界の創造主

には受け入れられない。

宮崎駿は、せっかく人間が他の生物とは違い、

"考える葦"なので、他の動物よりもずっと賢く命

を使えるはずなのに、結局"考える葦"が真っ先に

たどりつく場所は自己中心的な願望になってしま

う皮肉を描きたかったんだと思う。

だから、ナウシカは、真理に気づいた少女と、真

理に気づかない人間たちが織り成す物語なのだ。

 

だけど、宮崎駿の凄いところが、そうやって間違

っていく人間(ペジテやトルメキア)の"人間らし

さ"も肯定してしまうという点だ。

その象徴として、初見では悪役としか思えなかっ

たトルメキアの皇女クシャナの印象が、2回目で

がらっと変わってしまった。

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クシャナの"怖い"という感情を宮崎駿は決して怠

らず描く。

そしてナウシカと行動を共にすることで、考え方

が徐々に変わっていく様子も怠らず描く。

実は宮崎駿は、あれだけ重いテーマであるナウシ

カで、一度も"絶対悪"を登場させていない。

たとえそのキャラクターが"悪役"であっても、そ

の都度の感情と感情の変化を大切にしている。

そこに在るのは"絶対悪"ではなく、"考える葦"と

して生まれてしまった故に間違えてしまう"滑

稽"な人間の有り様だけだ。

宮崎駿がトトロで描いた"夢中な人間の滑稽

さ"は、1984年の「風の谷のナウシカ」で"人類規

模"で描かれていた。

風の谷のナウシカ」には滑稽さがないという訳

では決してなく、むしろ人間の滑稽さを超俯瞰的

に描いた超大作だった。

それを解説者的な立ち位置で僕たちに解説してく

れるクロトワは非常にいいキャラなんだけど、同

時に全く人間味を感じないキャラクターである。

彼はクシャナやペジテの人たちとは違って、何に

も夢中になっていないからだ。

普通にカッコよくて好きだけど。

 

一方でアスベルというキャラクターは、行き当た

りばったりな人間ではあるが、"感情"に夢中にな

れる人間という意味ではこの作品の登場人物のな

かでは結構イレギュラーな存在。

クシャナやアスベルの父のように"理性"に夢中に

なってしまう人間は間違いに気づかない。

例に出すのも悪いが、僕の撮影班の男女はみんな

行き当たりばったりであるが、直感を信じる能力

がないので、とにかくその都度いちばん"無難"な

選択をしようとして、結局失敗していることが今

までに5回以上ある。

準備しても失敗するのになんも考えずに無難にや

ろうとなんか出来るわけないのだ。

そこにおいて人間が"考える葦"であることがまた

しても足枷になってしまう。

ただし、行き当たりばったりでその時の直感を信

じることができるアスベルは、間違ったあとに今

度は正しい選択をできる余地がある。

実際に「あなたは殺しすぎる」とナウシカに言わ

れて以降のアスベルは、全部正しい選択をする。

僕が思うに、彼は新海誠作品の天気の子の主人公

である森嶋帆高と同じ血が流れている。

実際に新海誠は相当ナウシカのファンで、もろ影

響を受けていることが作風からも受け取れる。

アスベルも帆高も、どちらも"縄文的"というか、

まだ人が悩みと共に生きる前の時代の人間の香り

がするキャラクター。

"悩まない"ことで、間違いもするが、正解にたど

り着くこともできる。

だからアスベルだけ、腐海の底で"人間主義"の正

解を知る人物と合流することができる。

そしてこの作品は、底だったり谷といったマイナ

スイメージがこの作品においてはプラスに作用し

ている。

底や谷という単語は本来不気味なイメージを伴う

のだが、この作品においては自由に息を吸える場

所であり、人間性が保証される場所なのだ。

この作品が描きたかったのは、廃れきった時代の

一縷の望みであり、逆に人間がプラスだと思って

とった自己中心的な行動に希望はなく、マイナス

として淘汰される自然にこそ幸せのカギがあると

いうことだ

 

唯一腑に落ちないのがユパ様の存在意義である。

この人の人間性っていうものが今のところひとつ

も描かれていないような気がして、今のところ全

然存在する必要が無いキャラクターだ。

"探し続けるよう定められた男"と言われるが、何

を伝えるためにこの作品に存在するのか。

いよいよクライマックスだ。

ペジテが王蟲をいじめるから、

王蟲の大群がやってきた。

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ああなんて荘厳な作品なんだろう。

するとLINEの通知が来る。

「終わりました!すみません!」

撮影班の女の子の授業が終わったらしい。

やむを得ず。残りわずか16分で無念の中断。

さて、毒を喰らいにいこう。

あとは明日の金ローで結末を見守ろうと思う。