2023-08-30

神保町のマックで久方ぶりのビッグマック

すると店員が俯いてブツブツ言いながら僕が背中

を向けている通路を何度も往復している。

"ヤバい"。

理解できない執拗さが怖い。

このヤバさを共有している他の人間がいることを

期待して、右に座っている学生3人組に耳を傾け

ると、どうやら彼らもヤバい店員を話題にしてい

る。

ちょっと安心したんだけど、ずーっと聞いてる

と、どうやら彼らは一線を超えてしまっている。

"障害者"とか"ひまわり学級"とかそういったワー

ドが、高笑いと嫌悪のトーンの繰り返しの中で聞

こえてくる。

しかも執拗い。こっちはやめて欲しいと思って

も、永遠に店員のことを貶してる。

それに呼応するように店員は店内をぶつぶつ言い

ながら歩き回っている。

学生たちに思わず残り1本のポテトをぶつけてや

ろうかと思ったけど、そしたら僕もヤバい人にな

っちゃうのでやめた。

ただ、あの店員は"ヤバい"のであって、"障害

者"かどうかは分からない。

それに、彼らはたぶん同じ学校の"障害者"をもち

だして、『〇〇なら仲良くできるねw』と言って

いるんだけど、もしそういう子がいたとしても店

員と全く関係ない。

 

僕は頭の中でずっとジャッジメントしていた。

ヤバい店員と学生たち、どっちが不快?

こういうときは僕のものさしとして"悪意"がある

んだけど、そうすると後者の方がいやかな。

なんで人がいじめてしまうのか。

分かり合えない怖さと、認められない弱さ。

これがいじめの本質。

"加害者が悪い"だったり、"被害者が悪い"なんて

そんな単純な話ではないのだ。

そういう一方的な考え方は、人間の弱さを否定し

てしまう。それは根本的な解決にならない。

ただ、いじめられる人のことを一番理解してるの

は皮肉にもいじめる人なんだよね。

"刺されそうw"とか"そろそろ赤信号w"とか、一番

分かってるのはあんたら学生なんだよ。

いじめたこともいじめられたこともある自分だか

らこそわかる。

学生たちがやっと帰ったので、最後のポテトを食

べて僕も店を出ようとした。

するとヤバい店員とすれ違ってしまった。

『ありがとうございます!トレーお預かりときま

す!(^^)』

 

え?