2023-12-13

講義後に『窓ぎわのトットちゃん』観てきた。

f:id:kzombie:20231213233510j:image

時間帯的にレイトショーで、場所が渋谷というこ

とで覚悟していたんだけど、とても映画に浸る環

境じゃなかったということをまず前置きする。

なぜ大嫌いな渋谷でこの映画を観ようとしたのか

は分からないけれど、多分自分のことだからなに

かの意味を期待して決断したはずだ。

僕の映画体験史上あまりに異例だったので、ほと

んどが"客席体験記"になってしまうかもしれない

けれど、しょうがない。

客入りはぽつぽつという感じ、まず左手に座って

たZ世代の若者的な雰囲気を身に纏った女子2人。

僕と同列の左のほうに座っていた。

TOHOシネマズの場合、上映前に一度消灯してそ

ろそろ準備してくださいねと促すんだけど、それ

を経てもまだ話し声が大きい。

この時点でもう他の映画館とは一線を画してるん

だけど、前の方の座席が変に光っていて、なんだ

と思ったら、30代くらいの女性がスマートフォン

をいじっていた。もうあたりは真っ暗なのに周り

の目線が怖くないのだろうか。

僕にはそういう強いメンタルはないから尊敬だ。

かなり遠くの座席なのに、Instagramでスマイル

アップ関連の投稿をいいねしてるのがハッキリ分

かるほど、スマホの光源としてのポテンシャルを

最大限に引き出していた。

上映開始と同時に、流石にどっちも収まったんだ

けど、他の映画館よりも一段階遅い観客の鑑賞ス

イッチにカルチャーショックを受けた。

さあそして今回の真打の登場。

上映開始5分、遅れて登場して参りますは、風貌

がまさにThe・ルンペンのハゲのおっさん。

右手にはポップコーンでもコーラでもなく、新聞

を握りしめている。カシャカシャと盛大に音を立

てていて非常識極まりないのだが、そのあたりは

まだ序の口なんだな。

なんとおっさん、上映中に喋っちゃう。

作中トットちゃんの次に台詞が多かったのはおそ

らく僕と同列の右手に座ったおっさんだろう。

おっさんが喋る度に観客全員がそっちの方を振り

返る始末。他の会場ではエース級のZ世代もスマ

ホ女もおっさんの挙動に思わず振り返っちゃって

たことから、今回の王者はおっさんでいいだろ

う。

さて、内容について語ろう。

『首』を見に行ったときの予告で観て、これは面

白いんじゃないかと思っていたんだけど、予想

を裏切らない素晴らしいアニメーションだった。

特にヤスアキちゃんという登場人物が凄くいい。

トットちゃんもそうだけどトモエ学園の子はちょ

っと感覚がズレてたりコミュニケーションがうま

くいかなかったり、内面が変わってる子が多い

中、ヤスアキちゃんは賢くて、周りが見えてい

て、他の子にない"引き際"をちゃんと持ってる。

だけど小児麻痺を患っていて、片足を引きずる感

じで歩いている。内面がまともでも外見がちょっ

と人と違うだけでどれほど苦労するか、この作品

は非常に巧妙に描けていた気がする。

そんなヤスアキちゃんの引き際を、引き際という

概念を全く知らない天真爛漫トットちゃんがぶっ

壊して、彼に世界の秘密を教えてくれたんだな。

アンクルトムの小屋とかロビンソン漂流記とか、

本をいっぱい読むことは素晴らしいんだけど、そ

れだけじゃ物足りない。

この作品でトモエ学園の創立者である小林宗作先

生が"教育"におけるそれの重要さ大切さを説いた

リトミックの描写があったように、子供がもつ内

なる世界は、形のある、触れる、外側の世界を手

や足で直接触れることではじめて、すくすくと形

成されていくんじゃないかと思う。

ようするに、想像力の木は想像するだけじゃ育た

ないということ。体験という種をまき、想像とい

う水で育てていくのが幼児教育だと僕は思う。

そういう意味では足の弱いヤスアキちゃんをハシ

ゴを使って半ば強引に木の上のレストランに招待

させるトットちゃんに最初イラついてしまったけ

れど、ヤスアキちゃんが触れられなかったものに

触れた瞬間、きっと彼のことだからちょっと無理

しちゃった先に世界の秘密を実際に手のひらにお

さめたような、まさにロビンソン・クルーソー

たいな気分だったんじゃないかな。

そのときのヤスアキちゃんの表情を鑑賞後に思い

返すとちょっと涙腺にきちゃうな。

戦争の色が強くなってきた終盤に、ヤスアキちゃ

んとトットちゃんが"雨に唄えば"をするシーンが

あって、ここが素晴らしかった。

雨が降っていてどんよりとした道で相合傘してよ

く噛めよ〜♩の唄を歌っていた二人に、戦争で

心を失った醜い兵員が『そんな野暮な唄を歌う

な!』と。トットちゃんは『どうして唄っちゃい

けないの』と大泣き。なかなか泣き止まないとこ

ろをヤスアキちゃん、小林先生のリトミックを活

かして、ステップでそのフレーズを伝える。

トットちゃんの世界がその瞬間パーッと晴れて、

2人が虹の架かった美しいステージを駆けていく

というシーン。この賑やかな演出の正体は2人が

形成し、共有した内なる世界であって、外側の世

界の局面はなにひとつ変わらない、そんな虚しさ

がある。

しかもそれがトットちゃんとヤスアキちゃんとの

最後のやり取りだった訳だ。

だけど、人間の子どもは大人と違って内なる世界

で辛さや苦しさを吹き飛ばすことができる、素敵

な生き物なんだと、『となりのトトロ』で学ん

だ。僕はそれを信じきってる。

話を映画の外に戻せば、おっさんもZ世代もスマ

ホ女も、みんな生きるのが下手なだけで毎日がん

ばってる。

そう思うと、まさに客席全体がトモエ学園のよう

に思えてきて、そっち方面で予想外の感動が生ま

れた。

Z世代の女子2人組の鼻をすする音が聞こえてき

て、彼女らからするとずっと喋ってるおっさんの

せいで情緒もクソもないのに、ちゃんと作品の

メッセージを受け取って涙を流しているそのさま

にこっちもホッコリしたし、スマホ女も意外にも

エンドロールで涙を拭う仕草が見えた。

少なくともおっさんのリアクションはうるさいだ

けでなんも間違ってないし、空気が読めない部分

は多少あるけど、戦時中の描写では日本人の質素

倹約精神に怒ってたし、ヤスアキくんが死んじゃ

うところでは悲しんでた。

きっと、観客の誰よりも作者の感性を、理解して

いたんだと思う。ずっと幸せそうに笑っていた。

個人的にスマホをいじったり、受け入れる姿勢を

整えないのが映画鑑賞における最大の無礼だと思

っているので、スマホいじり女とZ世代が一度た

しかにスマホをいじった瞬間があって、それだけ

が頂けなかった。

逆におっさんは鑑賞態度としては一度も間違えて

いなかったので、この作品をどういう感性で観た

か知りたくて、話しかけようかとも思ったけどや

めた。笑

今回変な人たちと一緒に映画を観ることになった

けれども、この映画を観ずに人を傷つけ続ける人

に比べたらマシかもな、と思ってしまうほど、ど

んな人間の心にも温かさを思い出させてくれる、

素敵な作品だった。

この間車が突っ込んだのにまだまだ喧しい喫煙所

の横を通って、酒臭い京王井の頭線に揺られて帰

宅。